デザインダイアローグコペンハーゲン

デンマークのコペンハーゲンでのデザイン留学を通して考えたこと

旅は自分探しになり得るか

無事にコペンハーゲンに戻ってきました。今回のイースター休暇中の旅行については、下記からたどる事ができます。

ddcph.hatenablog.com

こうして振り返って見ると、約16日間でドイツ、イタリア、ギリシャ、ハンガリー、クロアチア、フランス、アンドラ、スペインの8カ国を訪問しています。移動距離にすると約8000kmでした。日本に居るとこうしたまとまった休みを取るのが難しいため、こんなことができるのは、もしかしたら最初で最後の機会なのかもと思っています。

今回の旅行では、自分が行きたいところ、自分が興味があるところを回ってみましたが明確な目的があったものは実はあまり多くありません。アテネの遺跡とか見てみたいなとか、アドリア海を眺めてのんびりしてみたいとか、スペイン料理を食べたいとか、ほんとその程度。ハンガリーのブダペストにいたっては、なんかオシャレそうだから行ってみるかとか、実はそこに何があるかすら知らずに向かいました。

誰が言い出したのかは知りませんが、ときに嘲笑の対象ともなる「自分探しの旅」と言う言葉があります。しかしながら今回の旅を振り返って見て、旅で自分探しと言うのもわりとアリなのではないかと思うようになりました。

自分自身の好きなライフスタイルが明確になる

旅は多くの要素から構成されています。どこに行くか、何を見るか、何をするか、何を食べるか、誰と行くか、誰と会うか、どこで寝るか、どのようにお金を使うか。そしてこれらを予めどの程度計画するか、それとも行き当たりばったりを楽しむか。

旅は普段の日常生活とは切り離された非日常でもあります。だからこそ、限られた時間、予算等のリソースの中で上記要素を自由に取捨選択可能でもあります。

じっくり何かと向き合いたいと言う人も居れば、とにかく多くの観光地を回って多くの物を見たいと言う人もいるかも知れません。観光ガイドブックやトリップアドバイザーで上位にランキングされているような、多くの人に支持されている物を見て満足する人も居れば、他の人があまり興味を持たないようなマニアックなところに行ったり、自分だけの発見を楽しみにしている人だって居るはずです。

ホテルは最低ランク、ホステルの相部屋で十分、もっと言えば夜行バスや夜行列車を積極的にホテル代を浮かせたいけれど、その土地で食べられる美味しいものを食べることにはお金を惜しまないと言う人も居るでしょうし、食事には拘らないが快適に移動したい、快適に寝る事は譲れないと言う人がいたって何の不思議もありません。

以前どなたかがこんなことを仰って居ました。良書というものは人によって全く異なる。だから、自分に取っての良書を見つけるためには、とにかく本をたくさん読むしか無い、と。これは本に限らず、どのようなものについてでも、例えばライフスタイルについてでも言える事なのでしょうか。自分が好きな物を見るけるためには、とにかく触れてみる事、体験してみることが大切なのかと思うのです。そしてその試行錯誤をする場として、旅と言うのは良い機会なのではないかと思うのです。

自分自身の持つ興味関心を見つける事ができる

旅行中は多くの出会いがあります。これまで行ったことがない場所に行くのであれば、目に入るものすべてが新しい光景であり、経験となり、これまで自分が知らなかった世界でもあります。

その中には、自分が好きと思えるものがあるはずです。ほんの些細な事かもしれません。例えばこの建物のデザインが好きだなとか、こういう景色が好きだなとか、こういう歴史背景にロマンを感じるだとか。そういう些細なことが、自分の興味関心を広げる最初の一歩となるはずです。

例えば、私の場合、これまで建築についてほとんど興味を持っていなかったのですが、アテネで見たアクロポリス、ブダペストの夜にドナウ川沿いから見たブダ城、スプリトで見たディオクレティアヌス宮殿などを見た時、非常に強い印象を覚えました。

これらの建築はそのもの自体の持つ美しさ自体と言うよりも、その背景に大変興味深い歴史的文脈があります。ローマ帝国がどうだとか、イスラム文明がどうだとか、ブダとペストがどうのこうのだとか。これらがどの時代にどこでどのような影響を受け、与えたのかなど。私はこれまで気が付かなかったけれども、建築や歴史に興味があったのかも知れません。

私の場合を一例として挙げましたが人によって興味を持つポイントは違うはずです。どこどこの国の文化に興味を持つと言う人もいるかもしれませんし、北欧であれば家具や雑貨に興味を持つ人も多いと聞いて居ます。現代はインターネットや本などを読むことによって世界中の情報を手に入れる事が出来る時代ではあるものの、やはり実際にそこに行きそこで五感お通して得られる経験は、文字に起こしたり写真として切り取ったものとは、我々に与える影響力に大きな差異があると思うのです。だからこそ、旅はこれらの興味関心に気づくためのトリガーとして機能する場合があるのかな、と。

自分自身が持つ思い込みの存在に気がつくことができる

我々は普段の生活の中で、こうしなきゃいけないと言う常識を持っています。この常識と言うのは、殆どの人が無意識に思い込んでいるものですから、普段の生活の中で、自分自身でその存在に気がつく事はとても難しいことでもあります。

例えば、ハンバーガーは手で持ってかぶりつく物だと多くの日本人は考えているのでは無いかと思いますし、日本で食べられるパエリアを基準に、パエリアはこういうものであると考えるのもひとつの思い込みでしょう。

そしてこうした体験を通して、自分自身を構成する素となるような経験の存在に気がつく事もあるのではないかと思うのです。例えば私はあれそれが好きだけれど、この趣味嗜好は過去のこういった体験や常識の中で構成された物である、などと。

小さい事から日本で暮らし、身につけた常識の中で生きて行く事は決して悪いことではありませんが、旅に出て、新しい知見を得て、自分がどのような思い込みを持っているかを把握する事。これによって将来どうしたいのか、自分の強み弱みは何かなどをより具体的に考える事が出来るのではないかと思うのです。

おわりに

もしかしたら先に書いておくべきなのかもしれませんが、自分探しが何であるかを簡単に定義しておきましょう。自分探しの定義は人によって違うと思うのですが、ここまで記事を書いて、その中身は未来、現在、過去の3つに分けて考える事が出来るのではないかとふと思いました。

未来とはつまり、自分自身がやりたいことです。どんな生活がしたいかだとか、どんな事をもっと知りたいとか、どんなことが出来るようになりたいとか、そういった思いを見るける事が出来ると言う事です。

現在は、自分自身についてです。自分自身が好きなもの(あるいは嫌いなもの)は何か。どんなものに興味関心があるかと言うことでしょうか。

そして過去。旅を通して、過去のどんな出来事が自分自身を形作っているかと言う点を振り返る事が出来るのではないかと思うのです。

これらは決してそれぞれが独立した項目ではありません。未来は過去と現在を正確に把握することによってより具体的に想像する事ができ、その実現性を高める事が出来ます。つまり、旅を通した自分探しには十分に可能性があるのではないかと思うのです。

ここで私が可能性と書いたことには理由があります。と言うのは、与えられた物を見て、食べて、楽しむような受動的な旅ではあまり意味が無いのではないかと思うのです。強い好奇心を持ち、アンテナを張って、自分自身の行動を自分自身で決めること。そして自分が見たもの触れたもの、それぞれの体験を内省することが必要になってくるのではないかと思うのです。