デザインダイアローグコペンハーゲン

デンマークのコペンハーゲンでのデザイン留学を通して考えたこと

多様性を活かすには論より経験

現在取り組んでいるプロジェクトでは、「Transportation」と言うテーマだけ与えられて、チームで課題設定、解決法模索、プロトタイピング、プレゼンテーションまでを行います。

噛み合わない議論

最初は、どのような課題が良いかチームでディスカッションしていたのですが、どうにも噛み合わない。噛み合わないと言うよりは、共感出来ない、されないと言ったほうが正しいのでしょうか。

例えば、まず初めにそれぞれの問題意識を軽く確認して見るわけですが、例えばアメリカ人はこんなことを言うわけです。「ニューヨークの地下鉄では車内で酒飲んでパーティをしている人たちがいる車両もあれば、単純に多くの人が乗っている車両もあるし、人が居なくて空いている車両もあって、車両の選択が非常に重要だ。酒が飲みたい時は酒盛り車両に行くし、静かにしたい時は静かな車両に行く。人が居なくて静かな車両は逆に危険なのである程度人が居る車両を選びたい時もある。この車両選択が簡単に出来るシステムがあると嬉しい」と。

まぁ、無くはないんだろうなぁとは思うものの、日本人の私の感覚からすると色々と違和感を覚える部分のあり、完全に共感出来るかと言われると、ちょっと微妙なわけです。

逆に、日本人の私は「日本の満員電車は大変苦痛で云々」とか説明するわけですが、やっぱりいまいち伝わらないわけです。「日本の通勤電車が大変ってのは聞いた事あるけど、実際には大したこと無いんだろう?ロンドンのメトロなら通勤時間帯に乗った事あるけど、ちょっと混んだバーぐらいだったぜ!HAHAHA!」のような。

で、他にも色々それぞれがアイディアを出し合っていたんですが色々なアイディアが出るものの結局まとまらない。どれも悪くは無いように見えるものの「これだ!」と言う物が出てこない。

経験が共感を作る

日本人同士だったらどうだったかなーって思ったんですけど、ここまで共感を得られる、得られないで方向性が定まらない事って無かったような気がするんですよね。

大抵の場合「あー、それあ確かにあるけど、あんまり面白く無いよね」とか、少なくともアイディアが出てくる文脈に対しては理解が可能なわけです。日本人口は1億人と、世界から見ればわりと上位に入る国ではあるものの、それでもほぼ同じような文化で生まれ育って来ているわけです。しかも、30歳にもなってしまうと、気がつけば周りには情報系の専門教育を受けて居たりだとか、音楽の趣味があったりだとか、同世代だったりとか、同じような属性の人ばっかりが固まってしまっているからなのかなと思います。

同じ経験を持つ価値

教室の中で議論していても進展する気配を見せないので一緒に課題探しに外に出てみることにしました。1時間程うろちょろしてから気がついた点、気になった点などを共有するわけです。するとこれはとても不思議なんですけど、バックグラウンドが違うからか、気がつく点だったり、物事の捉え方の傾向はそれぞれ違うんですけど、それでもほとんどの意見について、みんなの共感が得られるわけです。

実は人の創造力って案外たいしたことなくって、自分が経験した事じゃないとそもそも共感出来ないんじゃないかと思うのです。だから、バックグラウンドが全然違う人を集めてきて会議室でアイディア出しなんかさせてもアイディアの数だけは出るものの、いまいち参加者の共感を得られるアイディアが出てこないわけです。

かといって、みんなが想像出来ること、共感出来る事って、結局大したアイディアじゃなかったりするんですよね。ダイバーシティ関連に関しては以前も少し書いたのだけれど、多様なメンバーを集めたら結局最大公約数的な、無難なアイディアに落ち着くのは、こう言う理由もあるんじゃないかなとふと思ったのでした。

ddcph.hatenablog.com 

まとめ

  • それぞれの異なる経験をもとにアイディアを出し合っても共感されず、なかなか合意に至らない。
  • バックグラウンドが異なるメンバーで同じ経験をする事は、様々な視点、切り口から気づきを得られ、大きな価値がある。
  • 同じ経験をもとに導き出されたアイディアは容易に共感を得る事ができる。